競馬論 ②

競馬について書いてみたら書き足りないことに気づいた
やらなくなり、何かのきっかけでかなり好きだったと気づく
今はそんな気分だ。だからまた競馬について書いてみる


まず前提の話から
秋鷹41はドラマが嫌いです
特に実話が原作で死が題材に入っているお涙頂戴のドラマが大ッ嫌いです


特にそんな物を2時間ドラマなんかでやられた日にはムカついてしょうがない
ろくな演技も出来ねぇタレントなんかにやらせた日には抗議のmailも送りたくなる
それを24時間テレビなんかでやられた日には抗議の電話もかけてやる
どうせそれ見て徳光が泣くんだろゴミ人間が


架空の話を映画にしたり、ドラマにしたりするのは構わない
ただ実話を映像化するのであればドキュメンタリーにすべきだ
が、それも結局は日本限定の話だ
シンドラーのリスト」「シービスケット」「」・・・
海外は「いい話」を多くの人に伝えよう、という意気込みが伝わってくる
シンドラーのリスト」などは採算を度外視して作られたとも聞く
(この際事実と結構違う事がある、とか言うのはスルー)


ただ勘違いしないで欲しい
シービスケット」だって長い間積み重ねられてきた
“競馬におけるドラマ”のほんの一部分に過ぎないということも
そしてハッピーエンドの陰にはそれ以上のバッドエンドもあるということを


タマモクロスという馬がいる
活躍するのがもう少し早ければ牧場は潰れずにすんだ

セイウンスカイという馬がいる
シェリフズスター種牡馬成績の不振で廃用、行方不明に


大成した馬はまだいい
競馬は、生産そのものがギャンブルだ
生き物を扱っている以上絶対はない
不受胎かもしれない、双子かもしれない、死産かもしれない
無事生まれて健康な馬だったとしても遅いかもしれない


ハッピーエンドの陰にはそれ以上のバッドエンドもある、と言った
たぶん逆だ。一握りのハッピーエンドを求めて生産する
それはただのギャンブルじゃない
競馬は、生産そのものが“夢”という名のギャンブルだ


ミスターシービーという馬がいる
  千明   牧場   で生産された、秋鷹41が一番好きな馬だ
CHIGIRA BOKUJYOU の期待の馬。父は天馬といわれたトウショウボーイ
Mr. C    B    だ。夢を乗せてミスターシービーは走った
親子2代制覇の皐月賞
犯罪皇帝に盗まれた悲願の日本ダービー奪取
初の3強揃い踏みで完敗した菊花賞で19年振りの三冠達成
ちなみに父・トウショウボーイ藤正牧場の期待を背負っていたという
人間の期待に言葉の分からない馬が応える。健気でいい話じゃないか
これだってごく一部の話だ。馬一頭に一つのドラマがあるはずだ


シービスケット」と同時期に「ハルウララ」も話題になった
負け続けて話題になったサラブレッドである
一般人にはどうでもいいコトに思えるかもしれないが
サラブレッドというのは“勝つ”ために産まれてくる
否、“勝つ”ために、人間によって作り出される、産み出されるのだ


所有する繁殖牝馬に限られた資金の中からベストの配合を考え
受胎に一喜一憂し体調管理に細心の注意を払い
出産を乗り越え大事に丹念に育成しそしてサラブレッドとして市場に出る


馬主は資質を見定め他の馬主と競合し競り落とす
信頼できる調教師に預け厩務員が大事に世話して調教し
やっとデビューにいたる。ここまで最短で2年半ほどだろうか


ここまででどれほどの金と汗が費やされている思っているのか
そしてここからがサラブレッドとしての仕事なのだ
馬主はかけた金を越える働きをしてもらわなければならない
生産者は活躍することによって牧場の評判を上げなければならない
調教師はレースを勝つこと、結果が全てといっても過言ではない
騎手などは成績が直接生活に関わってくる


競馬というのは全て“勝つ”事へ繋がっている
負けて感動を得られると思ったら大間違いだ
一日何レース何頭の馬が負けていると思っているのか
“勝利”を追い求めた結果届かなかったとしても、その過程こそが感動を誘うのだ
シービスケット」はまさにそういう話ではなかったか
ハルウララ」は負け続ける事によって価値を高めたと言われる
負け続けても頑張る姿が感動を、勇気を与えたといわれる


ふざけるな


断言してもいい。いつの時期からか分からないが勝つことを諦めている
感動を与えた?勇気を与えた?傷口の舐め合いって言うんだそれは
メディアが煽って作られた感動なんて偽者だ。ただのドラマだ
24時間テレビで徳光と一緒に泣いてろよ
作り物の感動に満足する人間には“リアル”な感動は勿体ない


秋鷹41はハルウララを否定します
競馬に作られたドラマは必要ない
だって競馬はドキュメンタリーそのものなのだから