バンビーノ

ちょっとスポーツでタイムリーな話題でも

メジャーリーグで「バンビーノの呪い」が話題に上がる
ボストン・レッドソックスワールドシリーズに勝てないこと
ベーブ・ルースを当時のオーナーが金銭トレードで放出したことに対する呪いだという

ベーブ・ルースの偉大さはここで語りつくせる程浅くはない
抜粋だけしてみようと思う。こちらを参考にさせていただいた
http://circlechange.com/
http://www.major.jp/


ベーブ・ルース・・・本名ジョージ・ハーマン・ルース
1895年2月6日生、1894年2月7日生どちらかもわかっていない
本名を知らなかった人も多いかもしれない

幼少期のルースは悪ガキといったレベルを超えた不良で
7歳ですでにタバコを覚えていたらしい
セントメリー工業校という矯正救護院へ送られ、マシアス神父と出会い、野球を知る
ルースはマシアス神父を父のように慕い、神父が死んだ後も学校への支援を続けたという

当時のポジションは捕手で、左利きでありながら左にミットを着け
捕球後すばやく脱ぎ捨て送球するというスタイルで盗塁はほとんど許さなかったらしい
後に投手・外野手などをし、投手として、打者としてその名を轟かせていく

1913年そしてボルチモア・オリオールズの監督、ジャック・ダンによりプロとして契約
初登板は6安打完封というデビューを飾っている
しかしチームの経営悪化に伴い、ボストン・レッドソックスに金銭トレード
年棒600ドルで契約した彼の契約金は25000ドルにまで跳ね上がっていたという

その年ははレギューラー定着できなかったが翌年定着
32試合で18勝8敗・防御率2.44、打撃では42試合で打率.315・HR4という好成績を残す
この年レッドソックスワールドシリーズを制したがルースは代打で1塁ゴロだけの出場だった
翌年は23勝12敗・防御率1.75で最優秀投手に輝きワールドシリーズも制覇
その翌年も24勝13敗・防御率2.01の成績を残すがチームは優勝を逃す
当時の強打者として有名だったフランク・ベーカーの年間HR数が10本程度だったのに対し
ルースが投手として出場している間にHRを打つことに話題が集まる
(ちなみにフランク・ベーカー、ギャビー・クラバス等の選手がHR王になる前までは
 三冠王とは安打数・打点・打率の3部門だったようで、“球聖”タイ・カッブは4度獲得している)
1918年、ルースは投手兼1塁・外野を守り、そして11本を放ち初の本塁打王獲得
ワールドシリーズでは第1戦に先発し完封。第4戦でも7回まで無失点に抑え
ワールドシリーズでの29回2/3イニング無失点記録を樹立し、チームを世界一に導く

1919年、この年がメジャー激動の年となる
ルースは打率.322・HR29を記録。当時リーグ全体で100本程度だったことを考えると
どれだけ傑出した存在だったか分かるだろう
このころのメジャーリーグはバント・エンドラン・盗塁などが多く素人には分かりづらかったが
ルースがホームランを打つようになり観客は球場へ足を運ぶようになる
この時既に“ホームラン王”=ベーブ・ルースであった

が、この年にレッドソックスのオーナーはサイドビジネスの失敗もあり
ニューヨーク・ヤンキースに破格の金銭トレード(12万5000ドル)
1920年、ルースは野手に転向し打率.376・HR54の大記録を樹立(確か35本差がついたのはこの年?)
今で言えば100本打つようなものではないだろうか?
この年に記録した長打率.847は、バリー・ボンズが2001年に80年間振りに更新したのが記憶に新しい
ルースがHRを打つ度に観客は増え、当時の大事件、ブラックソックス事件を吹き飛ばしていった
ブラックソックス事件参考→http://www.major.jp/history/history03.html

1921年には打率.378・HR59・171打点を記録しヤンキース初のリーグ優勝
1922年は怪我で思うような成績が残せなかったが
1923年、「ルースの建てた家」と称されるヤンキースタジアムが完成
ルースは打率.393・41HR・131打点、ワールドシリーズでも3HRを放ち初の世界一
この後は極度の肥満、交通事故などがありながらも成績を残し
1935年にボストン・ブレーブスで選手兼助監督として1年間プレー
この年を最後に現役を引退し、監督を目指し始める

が、巡り合せの悪さなどもありルースは生涯メジャーの監督になることはなかった
ルースの性格は万人の知るところであり、勝負には向かないと思われていたのだろう


ルースのエピソードを少し紹介

・名声
アメリカ合衆国大統領よりも知名度が高く、所得が多かった

・発言
「僕がヒットを狙えば6割は打てる。でも皆は僕のHRを見に来ているんだ」

・ジョニー少年
落馬で負傷したジョニー少年。少年の父の友人がHR2本打って欲しいとお願いした
1926年ワールドシリーズの試合でHRを3本、シリーズ通産で4本放ち
シリーズ終了後にルースが見舞いに行き、少年はその後回復して元気になったという話
(いつの間にか難病の少年に直接会って頼まれたという話に変わっている)

ワールドシリーズ予告HR
ルースにとって最後のワールド・シリーズになった1932年のシカゴ・カブス第3戦
投手チャーリー・ルートとの対戦時に予告HRを放つ
1,2球目は共にストライクで指で1,2をルートに向けて挑発し
3球目の前にバットを左手で持ちながら右手で右中間スタンドを指差し、HR
(いつの間にかバットで右中間スタンドを指したことになっていたりする)
ちなみにこの打席に入る時、観客から投げ入れられたレモンを打ち返したらしい

・場外弾
地方の球場で場外HRを放った時の事
2年連続で同じ家のガラスの窓を割り、家主がホテルまで請求に来て
2年分のガラス代とサインボール、チップをプレゼントした

まだまだたくさんありますがこの辺で


生涯成績
野手=試合:2503 打数:8399 打率:.342 安打:2873 本塁打:714 打点:2210
投手=試合:163 完封:17 勝:94 負:46 S:4 回:1221.1/3 三振:488 防御率:2.28


ちなみに伝記的映画として「夢を生きた男 ザ・ベーブ」があるが
あんまりオススメできないです


前からベーブ・ルースは好きで伝記とかも持ってるんですが
86年ぶりにレッドソックスワールドシリーズを制覇したんで
ベーブ・ルースがピックアップされそうということで先手を打っておきました
セコいなぁ・・・俺

今回も長いや
次回こそ・・・短くまとめてみせる!!