巡回

ファミコンを生み出したカリスマ
ある意味、ゲーム業界の生みの親といってもいい伝説の男


山内溥


取締役相談役 → 相談役 といった感じで経営からは完全に退くって形なんですかね?
なんつっても

山内氏から、退職慰労金を辞退する旨の届出がなされており、
当社は、これに従って、山内氏に対する退職慰労金贈呈を株主総会議案としない予定であります


要するに、「退職金いらない」ってことです
新聞なんかには今後資金が必要になるだろうから、と語ったとの事


この年で二画面のゲーム機を考案し、自分が育てた後継者がタッチスクリーンをプラスしてニンテンドーDS誕生
都市伝説としてゲームボーイができた時に窓から放り投げて耐久性を検証した噂がある


懐の深さを語るエピソードの筆頭を一つ


1977年に創立されたシアトル・マリナーズ
14年連続負け越しなどによる経営悪化で赤字に苦しむチームに要請され“ポケットマネー”で共同所有者となる
その際に地元から「アメリカの魂をジャパンマネーに売り渡した」などと様々な批判を受けるも「野球には興味がない」とチーム運営実務にはノータッチ
1992年途中から任天堂の資金バックアップを得てランディ・ジョンソンケン・グリフィーJr等が加入し
1995年、初の地区優勝。その後も1997,2001年と地区優勝(2001年はアメリカン・リーグ最多の116勝)
例外として、一度だけ経営に口を挟んだのが2001年のイチロー獲得のただ1度だけ


2004年にNOA(Nintendo of America)に出資分を全て買い取らせて経営から退く
今となっては地元のファンの中ではマリナーズの救世主として知られている

さらにはイチローの新記録達成のお祝いが
任天堂の株式5000株(約6000万)の贈呈”。もちろんポケットマネー

当たってることも外れてることもあるけど
凄くために成ることを言ってたりするので興味がある人は是非