FF12事変

時間が出来たからやっと読めた

発端

それについて

本人まとめ(?)


あくまでも“順番に”その文を読んで感じた事を書くので
後からこういう意味があった!という言い訳は言い訳後に対処


まず“作品を批判すること”から

人が一生懸命作ったものを安易にクソゲーだとかいってボロクソに書く無神経さが許せない

クソゲーと言われる事を“安易に”と断言してるんだよな
ボロクソに書くことを無神経というが金を払って文句を言っちゃいけないのか?
金出して買った以上何を言っても自由なはず


ゲームに返品が無い事でどれだけ助けられてると思ってるんだ
無理な返品受け付けさせられるのは販売店だからな?

人が作った作品が安易な批判にさらされてるのを見ると嫌な気分になる
作品を批判するということは、その作り手に対して想像以上のダメージを与える行為だから

だからこいつは何様?
買い手がいちいち作り手の事を気にして批判しろってか?
そんな批判に何の意味があんのよ?


“買って貰った”時点で一度その作品は評価されてる
毎週何本ものソフトが出る中、限りある資金からソフトを買ってるんだ
そうした中で“つまらない”と思ったものを批判するのは個人の自由だ

少なくとも Amazon のレビューのようなところで
その作品を「駄作」とまでレッテルを貼るからには
もっとその作品について時間をかけて見てからにするべきなんではないか

Amazonの発売前レビューには意味が全くないのはわかるけど
舐めた発言だな。こいつホントに物作り側の人間?
小説だろうがドラマだろうが映画だろうが、ゲームだろうが
導入部分でひきつけられない物をなぜ続けなければならない?
エンターテイメントはどんな物でも導入を大事にする
必ずしも面白ければいけないわけじゃない。興味をそそるだけでもいい


最初はあまり面白くありませんし興味もそそりません
でも、後から面白くなるから我慢して続けてね、ってか?


ふざけてんじゃねーよ馬鹿
我慢させるだけの期待感を用意できてねーんだよ

2ちゃんねるで自分の作品をボロクソに叩かれてそれから二度と漫画を書けなくなった
そういう人が結構いるそうだ。批判されるのが嫌なら見るな、確かにそう
でも、批判してる側は、その作者が作品を生み出せなくなるほど
ダメージを受けているということを考えたことがあるのだろうか
そしてその作者が二度と作品を生み出せなくなって、誰が嬉しいのだろう

だからな、こっちは金払ってんだよ
雑誌だって返品はきかねーんだよ。つまんねー物をつまんねーといって何が悪い
それでメシ食ってる人間が作品を生み出せなくなる?
その批判してる人間がてめーのメシ代のほんの一部でも出してんだよ


作品が生み出せなくなるなんて知ったことか
その漫画家がどんな漫画書いてたかなんてしらねーけどな
批判された足りない部分を補おうと考えた事でもあんのか?
チヤホヤされてないと書けません?舐めてんのか

でも欠点以上に良いところが多ければ
まずはそんな良い作品を届けてくれた、そこに感謝するべきではないのか

良いところが多ければボロクソに叩かれてクソゲーだといわれねーよ

駄作だと言うなら、その作品は駄作であると断定するだけの思慮を張り巡らせてから言って欲しい

ゲーム批判すんのにいちいち考えてから批判しなきゃいけねーのか
つまらないと思ったからつまらないと言う
それとも理路整然といかにクソゲーか説明して欲しいのか?
そっちの方がよっぽどダメージ受けんじゃねーの?


次に“いいモノを作るためには適切な批判が必要”

その批判が作品への批判なのか人格への批判なのかが問題なのではなく
「出来上がったものを見て他人がどう感じたのか」こそが一番の重要なポイントなんだろう

まさにその通り

問題点の指摘は必要だし、批判の無いところからはより良いモノは生まれてこない


不満点を口に出すのが憚られるような空気が、有益な意見が出てくるのを邪魔する


また、不満部分の情報収集に関しては2chほど役に立つものはない
匿名のおかげかみんな遠慮なく好きなだけ不満点をぶつけてくれる


フィードバックを行わずに不満だらけのものをリリースしておきながら
「クリエイターの作ったものを批判するな」と言ってしまうのはただの傲慢だろうと思う
著名な建築家の設計だとしても、門の位置がおかしいと思うときにはおかしいと言うべきだ

最後にゲーム業界ならではユーモアを交えつつ
批判とそれの対処のあるべき形が示されてると思う


naoyaのアホな所は批判のマイナス面ばかり見ているところ
数多の批判はあるだろうけど、その中から有益な批判を選ぶのも自分
直すべき所は直せばいいし、あえて残しておきたい所は残せばいい
批判を受けてなお残すのであればそれはその作品の拘りだろ
自分が頑なにいいと思っていても世間が邪魔、無駄と判断すればそれは自己満足でしかないがな


で、Xbox360以来元気のなかった 発熱地帯 の
“「クソゲー」という言葉を受け止められない人間がゲームを作るな、と言いたい”

プロのクリエイターはどれだけ口汚い罵倒であっても、批判を受け止めるのが当たり前です
受け止めたうえで、その意見を反映させるかどうかは別ですが
目を閉じたり耳を閉ざしても仕方ありません。現実は変わりません

その通り!

世の中のクリエイターと呼ばれる人々の中には「繊細な」人がいらっしゃって
「ただのクソゲー。つまらん」みたいなストレートな感想にぶつかるとひどく傷ついてしまって
「そんなもん、安易な批判じゃないか」と思考停止してしまいます
また、実際に遊んだのか遊んでないのかを知る手段なんてどこにも無いのに
アンチがユーザーの振りをして叩いていると決め付けたりします

キレキレだね(笑

ただ批判するのが趣味な人もいれば、叩くのが自己目的化している人もいるでしょう
しかしだからどうしたのか? そんなもん、ユーザーの勝手なんですよ
そうした意見を読んで、心が傷つくようなプロのクリエイターは
さっさとブロークンハートして、会社を辞めるなり、業界を去るなりしたらいい

ノリノリですよ!

クソゲー」というのは最短の感想ですよ
大体、娯楽なんてものは究極的には、面白いか、つまらないか、どちらかなんです
「このゲーム、おもしろ」という一言も
百万言費やしてダラダラ誉め言葉を並べたレビューも等価です
「超クソゲー、やめた」という残酷な一言も
一千万言費やしてあらゆる角度から問題点を指摘した解析的レビューも一緒です


作った側としては、具体的にどこが面白かったか
どこがつまらなかったかを詳細に指摘してもらえれば
次に活かせるからありがたいというだけなんです
自分で長所・短所を見つけるのは、特に客観的に評価するのは意外と骨ですからね
こっちの仕事が楽になるわけですよ。でもそれは「望外の望み」というやつです
棚ボタです。本来感想なんてものは、面白いかつまらないかです
感想に貴賎はありません。いつから「クリエイター様」はそんなに偉くなったのか

ガンガン攻め込むけど言う事は全て最も。完全に同意

別にかしこまって、正座して、眉間にしわを寄せて
偉大なるクリエイター様のお作りになった
スーパー・クリエイティブ作品を遊ばせていただくわけじゃない
パンツいっちょで、ダラーっと寝っ転がりながら遊んで
適当に飽きたらコントローラ投げ捨てて終わりでしょ

コレを読むといかに
PS3クオリティ”と言われてキレたアリカの三原さんや
アホのnaoyaの

まずはそんな良い作品を届けてくれた、そこに感謝するべきではないのか

が間抜けな発言かが良くわかる

点数だの、言葉だのがほしいやつは、小学生に戻ったらどうよ
小学生なら学校のセンセーが「よかった探し」をしてくれるよ

秋鷹41がガキの頃はそんな事もしてもらえなかったけどな
ゆとり教育世代でもないだろーに“繊細”なお方だよな

いざ世の中に出したら、ドーンと構えるしかないんですよ
面白いものを作った自信が本人にあれば、ハートがブロークンしたりしません

その通りだね
メソメソしてる暇あったら次回作に取りかかれや


次で黙らせてやるくらいの事が何故言えんのかね?
2作目移行でブレイクして、前作が再評価されるなんていくらでもある話だ


そしてこれ“クリエイターは「批評されること」そのものを問題にしているのではない”
どっちかっつーと擁護っぽい意見だね


さらにどっかからの転載らしいが

物事を批評するとき、最後に「自分が好きなものを列記する」
ということを基本的なマナーにすることだ
俺が言いたいのはつまり、読者の側も批評される側も
単純にそいつがどういうものが好きなのかということを事前にわかっていれば
「こいつとは趣味や価値観が違うんだな」と納得できるし
変に傷が付くことが少なくなるんじゃないかということだ

うむ。考えた事もなかったがいい考えだと思う
アレンジレンジを妄信するようなアホとは一生気が合う事はない

ただ、三者に絶対的に共通している意識は
「作った作品に対して批判を受けるのがプロであり
 それをクリエイターの側が制限しようとするのは愚かなことだ」
という原則だろう

これ、naoyaからは全く感じなかったんですけど

果たしてゲームの発売日の前から思いこみや前評判による
勝手なレビューを付けられてしまうAmazonのレビューシステムはどうなのか

大問題。完全移植でもない限り意味はゼロ
しかも、それを当てにしちゃう人がいるって事も

2ちゃんねるで日夜繰り広げられる「社員書き込み者」による
ライバル社の製品への誹謗中傷書き込みはどうなのか

ゲートキーパーの事ですね


話題が音楽になるけど

ネットの公共性や、あまりにも簡単にデジタルコピーされて流通してしまう状況が
(すべてとは言わないが)「0→1」の(場合によっては「1→10」も含めた)
クリエイターたちを苦しめていることも事実である

その通りでもあるけど
コピーされる事よりもCCCDによる音質の低下
 =自分の作品のクオリティを優先して独立したアーティストもいるし
LimpBizkitのフレッド・ダーストのようにP2Pを鼻で笑い
「俺は多くの人が俺の音楽を聞いてくれるだけで満足だ」という奴もいる
漫画家で言えば岸辺露伴荒木飛呂彦
「読んでもらう為に漫画を描いている」って奴もいる事を無視しないで欲しい


で、最後の“続き”
どうしても言い訳にしか思えない
思った事をきちんと書けていないなら最初から書くな

「いままでと違う、自分はこんなのはFFだとは思わない、から駄作だ」
と、数時間プレイしただけで言いきってしまう前に
なぜ彼らがそうしたんだろうという考察があってもいいんじゃないかと思うわけです
感想じゃなくて、レビューなんだから

“いままでと違う、自分はこんなのはFFだとは思わない、から駄作だ”
これは秋鷹41にとっては十分なレビューなんですけど?


この人は“いままでのFF”が好きって事がたった1行の文でわかる
つまり、“いままでのFF”が好きな人には駄作です!っていうレビューになってるんだよ


“自分はこんなのはFFだとは思わない”と書けばただの感想だろう
“駄作だ”と書いてもただの感想だろう


でも、“いままでと違う”→“自分はこんなのはFFだとは思わない”→“駄作だ”


こうつながればコレはレビューなんじゃないのか?
秋鷹41は凄く趣味の合う友人に“合わない”と言えばそのゲームや音楽は買わない
上の方であったように“価値観が同じ(もしくは非常に近い)”から


友人も秋鷹41が“合わない”と言えば買わない
昔のファミ通クロスレビューみたいなもんだ


それぞれレビュアーに好みがあるから点数に差が出る
レビュアーの好みを知ってその点数を基準に買う、って事ができた


下の方で触れる“東京トイボックス”って漫画で
ファミ通っぽい4人レビューが出てくる場面があったけど
その時に一人だけ高得点、っていうゲームを作ってたんだよな
そういうレビューじゃない以上、今のレビューには意味がない


ファミ通デスクリムゾンを酷評できた時代は良かったな
業界No,1誌が先頭に立って批判してたから皆必死で作りこんだ
今じゃあ8、9乱発の殿堂入り乱発の糞雑誌に成り下がった
そんないいゲームが出てるか?出てないだろう。売上もどんどん落ちてる


3,3,4,3なんて今のファミ通じゃ絶対つけないだろう


ファミ通がやっていた事を今はユーザーが直接やっている
それだけの事だ


参考:デスクリムゾンレビュー画像
 → 画像